「誕生日おめでとう」

チャミィです。

この度、「チャミィのひとりごと」というカテゴリーを作りました。

ここには私の日常で起こったことや考え、とりとめもない事を綴っていこうと思います。

今回は1回目の記事なので、誕生日について書きます。

つい最近誕生日を迎えました。詳しい年齢は言いませんが、ある意味人生の節目の年です。

誕生日前日まで、また一つ年をとると憂鬱でしたが、いざ誕生日を迎えると友人や家族から誕生日おめでとうの連絡をもらったり、お祝いをしてもらったりと嬉しいものになりました。自分の年齢は一つ数字がプラスされたものの、中身は誕生日前日とはなんら変わっていません。



さて、みなさんは家族や友人の誕生日を覚えていますか?覚えていなくても、SNSが教えてくれるものもありますよね。

基本的に私は親友ぐらいの間柄でない限り、自分から誕生日おめでとう連絡はしません。なので、自分から連絡しない人からおめでとう連絡を受け取ると、なんだか申し訳ない気持ちがして、この人の誕生日には必ず私も連絡をしようと思うのです。しかし、誕生日を覚えていない人もいます。だからと言って今更誕生日を聞けません。何年の付き合いだ、となるからです。そんな時は昔のメールを見返したり、SNSで探したりと、少々手間となります。(ちょっと嫌な人間ですね。。。)

いい大人になるとお誕生日おめでとうと言われても、私はめでたいとは思えません。むしろ誕生日がこないでほしいと思うばかりです。ただ嬉しいのは、自分の誕生日を覚えてくれ、あるいはSNSで気づいてくれてわざわざ連絡をくれる事です。これは自分の事を覚えてくれている、まだ繋がっている感じがして嬉しく思います。

手間とか言いながらも、全く連絡がこないものは寂しいものなんです。わがままですね。

誕生日おめでとうは私にとっては年賀状のようなものでもあります。1年に1度の挨拶連絡。年賀状のみでずっと繋がっている人もいるでしょう。

しかし誕生日も1年に1度だけ、メッセージの最後には必ずどちらも「○○さんにとって素敵な年になりますように。」で締めくくります。

私はここ数年でやっと年賀状を卒業することができました。年末の忙しい時に書くのがとても手間で、メール等で済ますようになりました。正直もらった年賀状も捨てようにも捨てられず、たまっていくのも困りものです。

年賀状にはくじが付いていますが、今まで切手しか当たったことがありません。その上いざ切手を使う時は当たった切手の事を忘れて毎回買いに行きます。年賀状と交換した切手は使ったことがありません。もはやどこにいったのかも覚えていません。それなら余計に年賀状なんていらないじゃないか、となるんです。

*年賀状は書きませんが、その代わりにメール等で連絡をしたいのです。

友人に年賀状を卒業するのでもう送らないと宣言したところ、その友人も年賀状を辞めたいけどなかなかできないと悩んでいるようでした。みんな面倒くさいと思いながらも書いているんだな、と思ったのです。

もはや誕生日ではなく年賀状についての記事になってしまっているのですが、最後にこれだけ言わせてください。

私の場合ですが、夫婦、子供、家族幸せいっぱいの写真が全面になっている年賀状は、なんだか複雑な気分になります。年賀状という名の幸せ自慢に見えてしまうのです。(私の心がすさんでいる証拠でしょうか。。。)その年賀状は明けましておめでとうを伝えたいの?それとも子供の成長報告?親しい友人の子供ならまたこんなに大きくなったのね、と思えるのですが、そうじゃないと、ね。

自分に子供ができたら、同じことはしないと今は思っているけれど、いざその時になると結局みんなと同じ事をするのかな。。。

 

テキストのコピーはできません。